■日本語のバイエルが生まれるまで その3


▼日本語は文節を貼りつけていく膠着語

前回のお話のつづきです。言葉であるためには、「文節化」と「構成化」というものが必要であるというお話でした。

日本語の特徴が、この2つの面からうかびあがってくるだろうと思います。「分節化」について、前回、最小単位は単語だと申し上げました。しかし、日本語では、単語という最小単位を基準にしているわけではありません。

分節化と構成化の例として、村上陽一郎が出した例をみると、よくわかります。「リンゴは」と組み合わせられるのは、「丸い」とか「赤い」だと言っています。「リンゴ」でなくて「リンゴは」となっています。助詞がついています。

おそらく学校にいるとき習ったのではないでしょうか。文節というのは「ネ」をつけて切れるところだというお話ですね。「リンゴは丸い」なら「リンゴはネ」「丸いネ」という風に分かれます。助詞は糊代ですね。

この文節化された単位を日本語の場合、どうやって構成していくのでしょうか。日本語の「構成化」の方法が問題になります。原則として、貼りつけてゆくだけですね。語順のルールは、緩やかです。

日本語は、膠着語だといわれます。「膠」は「ニカワ」ですから、接着剤です。バイオリンなどの楽器でも使われています。「着」もくっつけるということですね。とにかく、日本語は、文節をくっつけていく言葉です。

英語なら、語順が大切です。主語があって、そのあと動詞が続く形態が基本形になります。日本語の場合、並べ方はあまり厳格でありません。糊づけのときに、大きな役割を果たすのが助詞です。「リンゴ」でなくて、「リンゴは」「リンゴを」「リンゴに」などと助詞が接続していきます。それによって、単語の役割が変わってきます。

しかし、ただ単語を貼りつけていくだけではありませんね。大きな特徴があります。そのことをお話します。

▼文節を束ねる述部

日本語の場合、述部が文節を束ねる役割を果たしています。例文を見るとわかりやすいと思います。以下の文章は、日本語としておかしくありませんね。

≪体育祭の練習のため、今日、私は、学校に、スパイクシューズを持って行く。≫

この例文を束ねているのは、「持って行く」ですね。この「持って行く」というのは、二つの動詞からなっています。「持って」と「行く」です。しばしば「述語」と言われますが、二つの動詞からなるので、「述部」と言いたくなります。

さて、この述部がどうなっているでしょうか。

「体育祭の練習のため」…持って行く
「今日」…持って行く
「私は」…持って行く
「学校に」…持って行く
「スパイクシューズを」…持って行く

以上のように、述部が各文節を束ねています。この例文では、why・when・who・where・what という5wのすべてを束ねています。

このように、日本語の場合、構成の仕方が「述部」を中核にした構造になっています。この点が、日本語の特徴だろうと思います。

「どうして」という観点から例文を見たら、「体育祭の練習のため」という点が、重要情報でしょう。いつなのか、誰なのか、どこへなのか、何をなのか、その違いによって重要性が変わってくるはずです。

そうなると、英語などのように、主語が前にあって、特別な存在と言うわけではないですね。いま見たように、主語がきわだって重要だ、ということでもなさそうです。

▼主役を意識すること

このように、述部が特別な存在である日本語において、基本形、標準形を考えるとき、ある種の形が必要になると思います。

前に紹介した司馬遼太郎の言葉を思い返して見ましょう。講演の中で、「主語と述語がちゃんとあり、目的語もきちっとあるような、そういう言葉」という言い方をしていました。あるいは西原春夫は、「主語・述語のはっきりしている外国語風の文章」という言い方をしていました。

私がいう標準形とか基本形と言うのは、主役がはっきりしていて、その主役が、どんなものであるのか、どんなことになっているのか、どうしているのか、こういうことがはっきりしている形と言うことなのです。

普通にお話していると、この辺が不明確になりがちです。もうすこし主役を意識したうえで、その主役について述べることが大切だろうと思います。小学生の作文をみるときにも、しばしば、「誰が」とか「何が」という風に聞いてみます。そうすると、きちんと答えられるものです。繰り返しこれをしていくと、主役がはっきりしてきます。

主役が決まって、その主役について述べる形が出来てくると、小学1年生でも、かなり長い文章が書けるようになってきます。失語症の方々は、そんなに簡単にはいきませんが、それでも、主役とそれについて述べる形式があると、言葉になりやすいのです。

黙っていたら、主役が隠れがちになるのが日本語の特徴です。そこをはっきり意識する習慣をつけると、文章がきちんとしたものになってくるということです。

このことは、ビジネス人でも同じことです。最近、同じような感想をお寄せくださった方がいます。個人指導をさせていただいている方の中に、かなり優秀な方がいらっしゃるのですが、その方は、主役にあたる中核的な概念を意識したら、スムーズに文章化できたとおっしゃっていました。

もちろん、それが狙いの課題だったのですが、皆さんにお見せしたいくらいの、すばらしい出来の文章をお書きくださいました。これを繰り返すうちに、自分のスタイルになっていくはずです。

大雑把なお話ですけれども、日本語のバイエルが、どういう風に生まれてきたのか、感じとっていただけたら幸いです。

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