■日本語のバイエルが生まれるまで その1


▼言葉を獲得していく過程

日本語のバイエルのお話を始めます。まず日本語のバイエルというのは、どんなふうに生まれたものであるのか、その辺からお話していきます。

私は失語症の友の会におりまして、言葉の訓練を横で見ていました。訓練法についても、すこし考えながら見ていました。言葉の訓練の場合に知っておいたほうがよいことは、言葉の回復の場合、成功事例が少ないということ、また確立した理論がないということです。

ですから、言葉の回復のためにはこうすればよいとは言い切れません。どういうときに回復するという事も、あまり詳細なことは言えません。しかし、にもかかわらず、回復にはある傾向が見られます。これが大切な発見です。

お話が出来るようになっていく方は、「私は、どんなです」「私は、何をどうしました」という基本的な文型を押さえた話し方をなさいます。文章語のようにきちんと折り目正しい形を確立してから、だんだん自然なお話が出来るようになって行きます。

ちょうどよい発言がありますので、引用しておきましょう。司馬遼太郎が講演のときに、「あまり参考にならないから、しないようにと思っていた」といいながら、以下のお話をしています。(講演:山岡鉄舟の「桃太郎」『司馬遼太郎が語る日本』)

私の親戚の家に赤ちゃんが生まれまして、お母さんは大学で心理学を学んだ人ですから、赤ちゃんがまだ目をつぶっているときから、ちゃんとまとまったお話をしてあげた。大阪で生まれたのですが、標準語のアクセントで、主語と述語がちゃんとあり、目的語もきちっとあるような、そういう言葉を語り続けてみたのですね。
すると、その子はものが言えるようになったら標準語でした。(中略)
そして、その子はいま五年生になっていますけれど、めずらしいほどに論理的な頭を持っています。
それは偶然なのか、たった一例のことで解釈を拡大させることはできませんから、この例を挙げることを遠慮していたのですが…

たった一例のことではありません。失語症の方々も、このお話とそっくりです。きちんとした文章に立ちかえると、そこから応用が出来るようになってくるのです。小学1年生に作文を教えたとき、効果をあげた方法も、同じです。

 

▼成人後の文章の上達

失語症の方は、成人後に言葉が不自由になった方がほとんどです。すでに脳の言語中枢は出来上がっています。それが壊れてしまって、言葉が不自由になった方々です。それを修復していくことになります。

小学1年生の場合、作文がどんどん書けるようになっていくというのは、脳の中の言語中枢が発達していくことだろうと思います。修復ではなくて、新たに言語にかかわる神経系が生まれているということでしょう。

両者は、違いがあってもおかしくないのに、同じように基本・標準の形に返ることが大切だということを示しているのです。

感覚的に、これは正しいと思いましたので、ビジネス人にも同じ方針で文章訓練をしてみました。やはり、同じです。きちんとした基本形・標準形に返ることが必要不可欠だと思いました。

成人後の文章の上達に関して、刑法学者の西原春夫も似たことを書いています。
(『短文・小論文の書き方』有斐閣新書)

日本語は、外国語に比べると主語をあまり使わない言葉だといわれる。主語をあまり使わない方が、よい文章なのかもしれない。しかし、法律家としての文章書きのトレーニング法としては、むしろ主語・述語のはっきりしている外国語風の文章を書くように努力し、いったんそれが身についたら、またそれを長い年月かけて崩していく、という方法をとるべきであると思う。

これなど、失語症の方の回復過程と同じです。

それでは、基本形・標準形に返るというのは、どういうことなのでしょうか。もう一度、日本語の文章の基本とか標準というものについて、考えてみる必要があります。基本的な形式、標準的な形式というのは、どういう形態なのか、考えてみる必要があります。

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