■助詞と文構造


▼助詞の貢献

日本語における助詞の役割は、とても大切です。助詞があるおかげで、日本語はたいへん得をしています。司馬遼太郎が講演で、ヨーロッパではお互いがまねをしあって、言葉が発展してきたと言っています。

言い回し、ボキャブラリーをまねしあっている。英語はその70%以上をフランス語から借り入れています。それが恥ではなく、そのおかげで英語は豊富になっている。

日本語も、たくさんの言葉を外国語から取り入れています。それがうまくいくのも助詞があるからです。司馬遼太郎は言います。

例えば現在、アイソトープとかDNAとか、世界の共通語はたくさんありますが、中国語はその点、大変ですね。全部、感じで翻訳しなくてはならない。ジェット機といえば、「噴射式飛机」と書くそうですな。
さらに日本語やモンゴル語のように、外国語をそのまま単語として入れて「てにをは」でつないでいけば意味がわかるという言語ではない。

日本語には助詞があるから、外国語をそのまま単語として入れられるのです。それによって語彙が豊富になりました。おかげで、たいていのことは日本語で用が足ります。哲学でも科学の論文でも、日本語で支障なく書けます。

ただし、これは明治のころからの努力があったからですね。例えば、「哲学」という言葉は、明治に入ってから日本人が作った漢語です。「科学」も「会社」も「広告」も、「思考」「必要」も明治に入ってから新しく作られた漢語です。

こうした努力をしたおかげで、その後、アイソトープという風にカタカナで外国語を取り入れたり、DNAのようにアルファベットのまま日本語の単語として取り入れられたということです。助詞のおかげで、語彙が豊富になったということです。

これは助詞の機能の一部に過ぎません。助詞は、語句の意味を示す大切なマークになります。この点を大切にしたいのです。

 

▼助詞が日本語に論理性を付与した

助詞の機能について、ちょっと時代をさかのぼってみてみましょう。「係り結び」は、ご存知かと思います。現在では、ほとんど使われません。なぜでしょうか。

『日本語の歴史』で山口仲美が指摘しています。

係助詞というのは、主語であるとか、目的語であるとかという、文の構造上の役割を明確にしない文中でこそ、活躍できるものなのです。たとえば、「花無し」のように、「花」と「無し」とがどういう関係にあるのかを明示する助詞がないときに入り込めるのです。「花ぞ無き」「花なむ無き」「花や無き」「花いかでか無き」「花こそ無けれ」のように。ところが、「花が無い」のように、主語であることを明示する助詞「が」が入ってくると、係助詞が入り込みにくくなります。

鎌倉・室町時代に、文の構造を助詞で明示するようになってきたのです。

語句の意味を示すということは、その語句が文中でどういう働きをするのか、ということです。助詞が、日本語の文構造を明示します。その結果、日本語は大きく変わりました。

日本語は、文構造を示すことで、論理関係を明示していく構造になったということです。山口仲美は書いています。

鎌倉・室町時代は、文の構造や文と文とのつながり方を明示し、日本語に論理性を付与しました。

わかりやすさ、伝わりやすさの根底には、論理性が必要です。助詞を適切に使えば、論理的な文になります。ただし、意識しないとなかなか論理的になりません。このルールを考えることが、日本語のバイエルの役割です。

 

▼まず、「は」「が」のつく語をチェック

日本語の構造について、前回、述語(述部)が文の構成要素を束ねているというお話をしました。もう一度、あのときの例文を見てみましょう。

≪体育祭の練習のため、今日、私は、学校に、スパイクシューズを持って行く。≫

助詞に注目していただきたいのです。「私は」「学校に」「スパイクシューズを」という語句と、述語(述部)の「持って行く」が、この文を成り立たせるために必要な語句です。文法用語で、必須成分といわれるものです。

≪私は学校にスパイクシューズを持って行く。≫

この文が文の根幹だということになります。この例文の必須要素に接続している助詞は、「は」「に」「を」です。必須成分を表す助詞は、ほとんどが決まっています。

必須成分をあらわす主要な助詞は、「は」「が」「を」「に」です。これらの助詞がついていると、大切な要素ですよ…という印になります。この印を適切に貼りつけていくことで、その語句の役割を示すことができます。

助詞を適切に使うことで、語句の役割を適切に示していくことができます。これが、日本語のバイエルの基本的な考えになります。

まず、文章をチェックするとき、助詞を見てください。必須の要素を示す語句に、適切に「は」「が」「を」「に」がついているでしょうか。とくに「は」と「が」には、気をつけないといけません。主役が大切だからです。

主役を明確にしておかないと、他の人は何のことやら、わからなくなります。例えば、何人かの知り合いが、お話しています。こんな風に。

「あいつは残念だったよね。もう少しでうまく行ったのに。応援していて、もうがっかりだったよ。でも、まだチャンスがあるでしょ。」「もちろん、心配ないよ。必ず成功するさ。」

「あいつ」というのは、話しているメンバーや、その話の調子から、どうも自分の知っている人のようなのに、誰なのかわかりません。そういう時、「誰のこと…?」と聞きたくなりますね。

文章を読んでいるとき、何のことを語っているのか、どうもよくわからなかったり、「あいつ」に当たるものが、どういう概念なのかわからなかったり、さまざまなことで、意味が十分取れないことがあります。

まず文章が気になったら、「は」「が」のついている語句をチェックしてみましょう。それだけで、文章がきっちりしているかどうかわかります。主役を適切に選択して、適切に示しているのかがわかります。

次回、夏目漱石の文章が、いまでも読みやすい理由を考えて見ましょう。「は」「が」をチェックしてみれば、おのずとわかってくることがあります。

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